浜松市の太古から現代までの歴史

近年では餃子消費量日本一に輝いています

遠淡海国造は、天照大御神から10種の神宝を授かり天磐船で河内国に天下った饒速日命を始祖とする物部氏が代々引き継いだとされ、鎌倉時代には源氏及び北条氏の支配地となる地域です。
南北朝時代には、所領が南朝の大覚寺統の荘園や御厨であった事から南朝方に与する井伊家の様に所領などに起因して市域内の武家が南北に分かれて攻防を繰り返し、鎌倉幕府滅亡後は足利氏の有力一門斯波氏や足利氏御一家筆頭吉良家の分家である今川家の勢力下に入ります。
室町時代後期1498年に発生した明応の大地震以降は、明応の大地震による地盤沈下と天白原台地の堀江高師山連峰の山津波により堰き止められた浜名川の氾濫によって今切口が出現し、今切の口出現により浜松は西国と東国を結ぶ交通の要所となった地域です。
桶狭間の戦い以降は、今川家の人質から脱した家康が東海道の見附宿と東海道の御油宿を結ぶ姫街道を支配する堀川城の攻略や渡船定書の発行など地固めを進めますが、徳姫の讒言や唐人医師減敬との密通など12の罪過で正妻の築山御前を佐鳴湖岬で暗殺され、織田信長の領地として開発が進められた地域でもあります。
関ヶ原の戦い以降は、明応の大地震と浜名川の大激流などで広がった今切に関所や姫街道の気賀に関所を設置すると共に大名や旗本の姫街道の通行を禁止するなど直轄領の様な統治が行われた交通の要所です。
明治維新以降は、1912年の私設軽便鉄道会社の設立や1931年の全国産業博覧会の開催及び軍需工場の誘致などで工業都市として急激に発展を遂げ、終戦後はオートバイメーカーや楽器メーカーなどが数多く誘致されると共に近年では餃子消費量日本一に輝いています。

姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館の巡回展示
戌にちなむ 9月2日まで pic.twitter.com/pjYg5oSfq5

— 浜松さやか (@hamamatsusayaka) 2018年8月18日

浜松は浜北原人や三ケ日原人が有名な地域静岡県西部を支配した遠淡海国造の所領とされている近年では餃子消費量日本一に輝いています

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